反乱のノロシを宅地開発の規制文書という明確な形で上げたのが川崎市だった。一九六五年八月、同市は「団地造成事業施行基準」を発表した。この文書は「急激な人口増加とそれに伴う市財政への圧迫に対処し、団地造成事業者のご協力のもとに公共施設等の完備した理想的なまちづくり」を目指したいと述べ、事業者が自らの費用で団地の公共施設をつくるように要請している。直接のきっかけは日本住宅公団がおこなった東生田土地区画整理事業で、これは総面積五十六・ニヘクタール、人口八千人という大規模団地の建設事業だった。
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川崎市は、こうした団地は市の総合計画を台なしにするばかりでなく、公共事業の負担が大きく、諸手を挙げて歓迎するわけにはいかないと反対の理由を述べた。この団地のために川崎市がつくった小学校、公園、下水処理施設など公共事業の費用は合計二億七千三百六十一万円。このうち国と県が負担したのはわずかに合計で丁五%、公団の負担も一四%にすぎず、市が残りの八四・五%を背負いこんでいる。川崎市の「施行基準」が発表されると、各地の自治体から問い合わせが殺到した。いかに、大都市周辺の市町村が無秩序な団地を中心とした住宅建設の洪水に悲鳴をあげていたかを示していた。